山あり谷あり凸凹育児☆

愛しき凸凹息子との日々をとりとめもなく綴ります。

私のこと 生い立ちとインナーチャイルド

いよいよG.W.大型連休始まりました。

10連休…長い😅体力もつか…今から不安ですが、せっかくなので楽しめたら、と思います。


今回は自分自身のことを…


1984年、ある夫婦のもとに女の子が誕生しました。夜泣きが激しく、母乳を飲んでもなかなか体重が増えず、愛想の悪い赤ちゃんでしたが、両親は初めての子育て、精一杯頑張ってくれました。1歳7ヶ月になった頃、妹が誕生し、姉になりました。その頃にはおむつも外れて、妹の世話をやく子どもだったそうです。(我が子はまだまだ赤ちゃん盛りの月齢です)その後、もう1人妹が生まれ、3人姉妹の長女になりました。


内弁慶で、幼稚園には、ちょっとよそ行きの顔で通っていた記憶があります。でも、団地育ちで近所の子どもたちとまるで野ザルのように朝から晩まで365日駆け回って遊んでいました。


小学生の頃は、運動神経も勉強も要領よく出来、学校生活において扱いやすい、しっかりモノの良い子でした。先生にも頼りにされて、手のかかる子と同じ班にされたり、何かとリーダーに指名されました。

家庭では、父が一時期、ある思想にはまり、そのセミナーに連れていかれました。そこで私は父を脱会させたく(困って泣いた母を助けたかった)その思想に一人反論したところ大人達に囲まれて、頭がおかしいと罵られました。帰り道、幼く従順だった妹たちだけ、父からおもちゃを買ってもらいました。私は悔しくて泣かないように耐えて車窓を見据えていたのを覚えています。もちろん、おもちゃが欲しかったわけではありません。ちなみに、小学生の頃、一時期、欲しいものがない、クリスマスやお誕生日に何が欲しいかわからない、と思っていた時期があります。


中学生になると、学校と塾がメインになりました。陸上部に興味がありましたが、部活動を快く思っていなかった家庭の雰囲気を感じ、強く主張出来ませんでした。受験では、希望した学校ではない進学高を受験し、合格してしまいました。


優秀な人がたくさん居て、毎日毎日必死でした。電車にのるときも、お風呂の時間も、睡眠も削って、いっぱい詰め込んで、家族にもイライラ当たって、でも、頑張って頑張って過ごしました。

友人とのおしゃべり、ゆるい部活、運動会、楽しい時間もたくさんありましたが、3年間疲れてしまいました。大学は必死にならなくても過ごせるところがいい、と自分で選びました。ゆったりした4年間。大学の講義やバイト、ランチに、遊び。主人にもこの頃出会いました。

そして、就職。4年ハウスメーカーに勤めて退職。その後3年間、税理士資格取得の為、大学院や専門学校に通い合格。その間、結婚したり、家を購入したり、ドタバタな日々でした。(結局、1年ほど働くも、税理士は向いていない気がして、現在は働いていません😅)


私は、幼いときから、母の承認、愛を求めている気がします。褒められたい。特別にみて欲しい。子どもは無条件に母を求めます。父も母も、精一杯私たちを愛してくれていました。

ただ、ときに、私は、その喜ぶ顔みたさに…期待に応えたくて…がっかりされたくなくて…ため息を聞きたくなくて…不機嫌にされたくなくて…実力以上に頑張って、背伸びしてしまいました。そして、何となく、自分が好きになれず、自信がなくて、なんだか生きづらいと感じて過ごしていました…今なら、あぁ、自己肯定感が低かったんだ、と自己分析できますが。


父も母も、とても優しい人です。家族を大切にしてくれて、よく働き、旅行にも色々連れて行って

くれ、本当に感謝しています。何より、私自身、両親、妹のこと、大好きです😌


ただ、両親も未熟なところがあったのです。人間だから。両親の育ちは、それぞれ、大変な事情がありました。コンプレックスもありました。だから、ゆえに、必死に育てたのだと思います。いい子でなくても愛してくれたと思います。でも私は、背伸びしてしまった、、長女の私に、期待も不安も大きくて一番影響があったのだと思います。特に末の妹は、自由に育てられた、と思います。だんだんゆるい子育てになっていました。正直、羨ましかったです。


長男が生まれた時、母子手帳に、【この子を無条件に愛する】と記しました。まだ凸凹っ子だとも知らないときに。親や世間からみていい子、でなくても愛して認めたかったのだと思います。

おかげで、発達障害を疑ってから、ありのままの息子を受け止めるまで、時間はかかりませんでした。もちろん、最初は苦しい時期もありましたが。発達障害と判明するまでの間の子育ても、極力周りと比べず、比較的穏やかな時間を過ごせたと思います。だから、私のこの思いもムダではなかった。


そして、それから幼児教育、子育て、愛着、二次障害…息子を何とか育てるために色々調べていると、自身の育ちに気づくことがありました。インナーチャイルドがいたのです。そのことを、母に伝えることもできました。2人で大号泣して、言い争って…謝ってくれました。私も、両親を傷つけるつもりではなかったと、謝って、感謝も伝えて、でも、あの時こう思っていた、もっと自由に人生の選択をしたかった、と話しました。


昔、頑張っていた幼い自分を「よく頑張ったね」と自分で褒めて認めて…少しずつ気持ちが癒されつつあります。まだ完璧に克服はできてないけれど、まぁいいか、の精神を大切に、自分を認めてあげたいと思っています。好きなことをして生きていいんだ、自分を好きになってもいいんだ、周りの目を気にし過ぎず、自分軸を大切に、自由に、枠にはまらず、一度の人生を楽しむ😊


息子のおかげで私は救われたのです。人生、変わりました。心の持ちよう、物事の捉え方が変わったから。凸凹息子に感謝です。


だから、ある意味、人生どうにでもなる!凸凹息子たちも、心の持ちようで楽しい人生を歩める!と信じています。

何ができる、できない、ではなくて、幸せを感じる心、感謝する心が育てば、息子たちの未来は明るいはず😊きっと、大丈夫!

枠にはまらず、常識にとらわれず、一度きりの人生、いつか皆んな死ぬのだから、楽しいこと好きなことをたくさんしたらいい😊


凸凹ってことは、好きなことには、ズンズン進む力が、普通より強いってこと。それは、むしろ、素晴らしいことなのかもしれない。

…と密かにワクワクします❣️


立派な肩書きでなくても、お給料が高くなくても、たとえ不得意なことがたくさんあっても、好きなことを見つけて、夢中に何かに取り組んで、何気ない日々を幸せに感じて暮らしてくれたら…母として、この上ない喜びです。


そんな人生を歩めるよう、邪魔をしないよう、一緒に歩んでいきたいです。